読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

安田南 「天使の恍惚」遁走事件の本当の理由 ①

 こんにちは、アナルコです
  やっと安田南についての本題に入りたいと思います。実は私はパソコン作業は全くの素人です。ましてやブログなんてどうすればいいのかよく理解できていません。ほんとうは写真などもつけたいけどやり方がよくわかりません。その代わりと言うのもなんだけど、私(アナルコ)が実際に見たことや、本人たちから聞いたことしか書きません。私の推測や伝聞はそうと分かるように書くようにします。もしこれを読んでいる人がいたら、アレレ?と思うこともあるかもしれません。良くも悪くも伝説的だったり凡庸だったりすると思います。それでも安田南の生きる態度や思想信条には凄いものがあります。思想信条なんてのは少し違うような気もしますが、ことばがすぐには見つからないんで勘弁してください。<安田南とその時代>を活写できればいいんですが、もしそうでなければ、それはひとえに私の力量不足によるものです。ご容赦下さい。それともうひとつ、私アナルコが安田南と親しくなったのは、彼女の男性遍歴のなかでいえば、中平卓馬以降のことです。ですから中平卓馬以降、要するに‘70年代以降は鉄板の真実(事実)です。中平卓馬以前についても本人に聞いたこと、ジャズ仲間に聞いたこと等をベースに書き進めます。概ね正確な情報だと自信を持って言えます。

f:id:anaruko:20170226130711p:plain


「理由は音楽、歌。それだけよ」 安田南 談
   いよいよ本題です。安田南が若松孝二の映画「天使の恍惚」のクランクイン間もなく姿を消した事件、遁走事件については、憶測も含めてまあいろいろと語られている。‘70年代初頭の動乱の季節である。左翼過激派は公然と軍事について語り始めていた。実際、日航機ハイジャック、自衛隊や交番を銃を奪う目的で襲撃、爆弾闘争等々の事件が頻発していた。そういった一連の流れのなかで、公安警察から身を隠すために潜伏せざるをえない事情があったのではないか、と推測する人もいた。
 若松孝二監督は記者会見まで開いて、「天使の恍惚」のあまりの凄まじさに恐れをなした安田南が出演料の一部をもらったまま逃げ出した。絶対に見つけ出して、このオトシマエはつけてやる。と息巻いてみせた。若松映画である、確かにセックスとヴァイオレンス、それに爆弾闘争ありで,凄まじい映画かもしれないが、安田南はそんなことで逃げ出すようなタマではない。
 後になって、この映画の助監督をやっていた足立正生は、南さんは演技ができないから降りてもらった、という旨の白々しい発言をしている。面の皮の厚い男である。そもそも安田南をキャスティングしたのは足立なのだ。安田南が自由劇場や演劇センター68~71、そして黒テントで女優として活動していることも承知の上でキャスティングしたのは明々白々である。まさか本気で新宿のフーテン娘を起用したなどとは言えないはずだ。安田南はすでに業界では有名で、その存在はよく知られていた。それに、新宿アートシアターの壁には安田南のハダカのスチール写真が貼られていた。勿論「天使の恍惚」の宣伝目的である。安田南に降板してもらう意志などさらさらなかったのだ。
 誰もが本当のことを言ってない。
 
 私は単刀直入に安田南に遁走の理由を訊いてみたことがある。彼女の答えは簡単な一言だった。
 
「理由は音楽、歌。それだけよ」   
 
拍子抜けするほど即座に、そして短い回答だった。
 だが、さらに話を続けると、安田南の歌を唄うことへの姿勢というか、態度がいかに厳しいものかを思い知らされることになった。
 とりあえずその時に起きたことを書くことにします。

まず、若松映画の看板の一つである、セックスとヴァイオレンスの<凄まじい>シーンを撮り終えた。
 問題はその後に開始した音楽である。当時としては大きなセールスポイントになったであろう、山下洋輔トリオと安田南、の見せ所でもあった。アヴァンギャルドなフリージャズを身上とする山下洋輔トリオとアングラの女王安田南、双方ともにカウンターカルチャーの象徴的存在である。何が起こるか予測不可能な組み合わせは評判を呼ぶこと請け合いだからだ。たぶんこれは若松というよりも足立が仕掛けたことと考えられる。何故ならば安田南本人が
 
「殆んどあっちゃん(足立正生のこと)としか話さなかった」

と証言しているからだ。
 この時に提示された楽曲を巡って揉めたのだ。安田南の言葉を借りればこうである。
 
「べ平連あたりで反戦フォークか何かを歌っていそうな兄ちゃんが来て、生ギターをポロンポロンやりながら歌って見せて、『こういう歌です』ってやるのよ。」
 
 安田南は日本の反戦フォークやメッセージソングを冷ややかに見ていた。だがそれは、反戦フォークやメッセージソングそのものを否定していたわけではない。その日、その場所にしか通用しない歌=数年後には何の意味もなさない歌、を押しつけがましく聴かされたり、歌わされたりすることを拒絶していたのだ。
 例えばヴェトナム反戦歌が今現在意味を持つか?当時ヴェトナム反戦は誰にも否定できない正義だった。そして誰にも反対できない絶対的正義を押し付けてきたのが反戦フォークやメッセージソングだった。誰にでも分かりやすいい言葉で、誰でも歌えるメロディで。そこに普遍性はないし、抽象レベルも低い。だから、反対はしないがとりあえず拒絶もしくは警戒する術を身につけていた。
 誰も反対できない正義、というのが先ず怪しい。
 平面的に考えては間違ってしまう。重層的に考えることが必要だ。
 こういうことを安田南は直感的に見抜いていた。天性のものなのか、後天的に自分で身につけたものなのかはわからない。傍から見ていると天然にしか見えないが、こうして直面している問題を考えに考え抜いてから結論を出すのだ。周囲の人間が思いもかけないような、唐突で突飛な結論だったりすることも度々で、大問題になったりすることもある。こうなるとテコでも動かない頑固な一面も覗かせたりする。トラブルメーカーと言われる所以であろう。

 ハナシが横道にそれそうになりました。映画に戻ります。
 
 ともかく、そのような形で楽曲を提供された時、彼女は警戒して一瞬身構えたのではなかろうか。そしてそれは正解だった。後になって私がその歌詞を見て、ニヤリと、いや苦笑かな、ともかく笑ってしまったくらいだから。あ、こりゃムリだ。ちなみに、音符は見てません。
 
 「まず歌詞がヒドイのよ。とんでもなくおセンチで、詩的言語とまでは言わないけど、もう少し何とかならないのかな。このままじゃとてもじゃないけど南唄えない。」
 
その通りなのが苦しいところだ。
 安田南は日本語の歌も唄っている。人によっては日本語のほうがいいと言うくらいだ。
 ’70年代を日本映画を観ながら過ごしていた人は「赤い鳥逃げた?」「愛情砂漠」をすごくいい、と言ったりする。福田みずほの作詞だったと思う。
 アルバムとしては「Some Feeling」が全て日本語だ。こちらは劇作家の佐藤信、加藤直、斎藤憐といった錚々たる顔ぶれが作詞者として並んでいる。劇中歌だから当然といえば当然ともいえるが、全員がアンダーグラウンド運動の最先端を担っていた。安田南自身も2曲作詞している。
 共通するのは、全体に抽象レベルが高いところだ。誤解しないでもらいたいが、抽象的だという意味ではない。普遍性がある、ということだ。
 日本語の歌は難しい。作り手も歌い手も聴き手も、同じ日本語だから安易に全て了解しあってる、という前提に立ってしまうと表現行為が怠惰になってしまう。
 またハナシが横道になりそうなので映画に戻ります。

 「せめて曲が良ければ何とかなるんだけど、、」

 と、安田南は言った。だが多分それは無理だったろうと考えざるを得ない。なにしろ山下洋輔トリオとセッションするのだ。曲がよかろうが何だろうが山下洋輔のことだ、表現は悪いがメチャクチャに弾きまくるだろう。いや、お願いすれば山下洋輔だって、いわゆる歌伴としての役割を演じてくれたかもしれない。だが安田南には、その選択肢はなかった。フリージャズのトップランナーである山下洋輔、ではない「山下洋輔」と共演しても、意味がない。それに、それは山下洋輔に失礼だからだ。
 だが安田南もプロフェッショナルである。歌も唄う女優としてここにいる。楽曲も提供されているのだ。だから安田南はやった。実はやりきったのだ。

 「あの歌詞をどうしたらいいか、それが一番問題だったの。それで、
『弁慶が、なぎなたをな、、、、、、』を
『ベンケイガナ/ギナタヲナ/、、、、、』とやる、あのやり方で言葉の意味をなくしたのよ、記号みたいにした。(勘違いしたド素人の)あのおセンチな歌詞を意味のないものにしたわけよ。」
 「ここは静かな最前線」だとか「俺たちの戦場」、「武器を握りしめて」、「戦いに行かなければ」とか、決意表明だか政治的アジテーションだか、何らかのプロパガンダでしかないセンチメンタルな歌を記号的なものに変換してしまったのだ。

 あとは出たとこ勝負である。メロディ(楽曲)なんか知ったことじゃない。なにしろ相手は山下洋輔トリオだ、そんなものはぶっ飛んでしまうに決まってる。映画には登場しないが、「天使の恍惚」のサウンドトラックの中にある。横山リエとクレジットされているが、(知ってる人は知ってるだろうが)実は一曲だけ山下洋輔トリオとのセッションがある。どこかにアップされてるので検索して聴いてみてほしい。『ウミツバメⅤer.2』だ。アヴァンギャルドな仕上がりなのでなじめない人もいると思うが、もし現場で実際に聴くと、感動したに違いない。
 
 私は、たった一度だけ安田南と山下洋輔のセッションに遭遇したことがある。それは、山下洋輔が組織した全中連(全国冷し中華連盟)というふざけた集まりの集会(宴会)でのことだった。山下洋輔、密室芸人だったタモリ等と、そのファン達が集まってのイベント(要するに大宴会)でのことだった。それに安田南も呼ばれていた。フィナーレのメインステージ、「ミナミを聴いてないぞ、ミナミを出せ」のコールに応えて山下洋輔と安田南が登場。打ち合わせなしの完全なアドリブセッションである。たぶん誰もが安田南が歌を唄い、山下洋輔が伴奏すると思っていた。
 ところがそこは山下洋輔である。山下節、つまりは何のメロディも感じさせないインプロビゼーションを始めたのである。これでは安田南が歌を唄うことはできない。どうなることか、と一瞬場内は静まり返ったが、安田南はメロディも歌詞もないスキャットでのインプロビゼーションで応じたのだ。緊張感のあるセッションだった。よく言われることだが、声、つまり肉体は最高の楽器であることを見せつけられたのだ。私はフリージャズは聴かないし、あまり好きではないのだが、この時ばかりはひどく感動してしまったことを鮮明に記憶している。いやあ、全く驚嘆してしまった。山下洋輔にしてみれば自分のスタイルを崩すつもりはないし、南だったら大丈夫だろうと考えたのだろう。いや、もしかしたらお手並み拝見といった気持ちだったのかもしれない。とはいえ、聴き手に分りやすいメロディも歌詞もない音楽でここまで感動させられるとは思いもしなかった。といって、その後私自身がフリージャズを好きになったわけではないけど、、、、。
 
 ともかく「天使の恍惚」のスタジオで同じようなセッションが行われたのだ。安田南は与えられた楽曲で、山下洋輔トリオとの共演を、とりあえず一曲やりきったのだ。
 ところがここで問題が発生した。
 これにNGが出たのだ。その調整のために足立正生がスタジオとガラスの向こうの若松孝二との間を行ったり来たりすることになる。

足立 「もっとまともな唄をやってくれ。と若松監督は言っている」
南  「まともも何も、こちらは真面目に真剣にやっている」

 足立、ドアを開けてミキサールームにいる若松と何やら話し合って、戻ってくる。

足立 「渡した楽曲があるだろう、そのようにやってくれればいい、と監督が言ってる」

南  「その楽曲をやっている。ヨースケとミナミが演るとこうなる」

足立、去って戻ってくる。

足立 「だから、監督の要求は、もっと普通で、まともで、わかりやすい歌をってことだ。わかるだろう?」

南  「そんなことは分かってる。だったら普通に、まともな、楽曲をもってきなよ。」    

足立、去って戻ってくる、、、
 
 再現した言葉はこの通りではないだろうが、大体こんな内容の応酬が、かなり長い時間あったようだ。こんなやり取りをしていると、当たり前だが双方ともに興奮状態になり、収拾がつかなくなる。
 このけんか腰の口論(論争?)のさなか、騒音状態の中、むこうの方で待機していたドラマーの森山威男が小声で「怒ってるミナミさんってキレイだな」と呟いたのが安田南に聞こえたそうだ。そんな出来事を苦笑いしながら安田南が話してくれたことがある。これ、余談です。 
 録音スタジオに戻ろう。
 とにかく当たり前だが、合意点が見つからないまま、喧嘩腰の話し合いが続けられた。そこに決定的であろう一言が投下された。

 「みんなが(で?)歌える曲じゃないと」

 この言葉、若松孝二本人の発言なのか、若松からの伝言として足立が発言したのか判然としないのだが、もはやそれはどうでもいい。
 あの荒ぶる若松孝二よ本当か?である。
 安田南は当然ながらキレてしまった。
 女優としての台詞なら、ここは戦場だ、とか、武器を持って闘いに行かねばも、ありであろう。全体の流れのなかの一部分でしかない。
 しかし、この映画に限って言えば、音楽、歌は別に考えてしかるべきだろう。「金曜日」という役柄を与えてるとはいえ、安田南とわからせる設定になっているからだ。明らかに「金曜日」ではなく、安田南だからこそ長い時間の歌唱場面が用意されていると言わねばならない。
 「みんなが(で?)歌える」なんて、日本共産党の‘うたごえ運動’か‘歌声喫茶’か反戦フォーク集会なんかと質的には同じレベルでしかないというべきだろう。「金曜日」ではなく、安田南がそんな歌を唄うはずがない。
 とはいえ、もうクランクインしたのだ。このあと新宿のバーでまだ会議は続けられた。

 ここまで来て、慣れないパソコン作業、アナルコは疲れてしまいました。続きは次にします。